プログラミングへの興味
ここ数年、Google drive がとても便利で、電子ファイルの共有や、スプレッドシートで日程管理や物品管理、家計簿にも使うようになった。
Webでの買い物も便利になり、何よりも調べたいことを検索すると、丁寧で見やすい解説記事が見つかり、行動が加速される。
重症アトピーや、病院が「治せません」とさじを投げている潰瘍性大腸炎になって絶望して先が見えない中、治す方法を探して実践して完治に至れたのもWebのおかげだ。
Webがなかったら、今頃病院に言われるままに一生付き合う覚悟を持って、苦しみ続けていたんだろうなあ…。気の毒すぎる…。情報がないって、希望がないってこととかなり近いね。まだ発展途上の常識に従うしかなくなってしまう。
この素晴らしいWebの力を、十分に使えているだろうか?
もし、自分で自在にWebを使いこなすことができたら、何か面白いことができるかもしれない。
AIは人間の脅威になるのか?
Webでいろいろなことをしていると、賢いAIの存在を感じることがある。
この10数年でAIはとても賢くなったなあと感じる。
AIの成長速度は人間に比べて圧倒的な速さだという。それはそうだろう。休みなく学び続けられる。でもだからと言って「判断」ができるAIはできるのだろうか。
手塚治虫の「火の鳥」が面白くて読み耽っていた頃があった。来世編では、各国の政治はコンピューターに任せられるようになっていたが、ある時ある国のコンピューターとある国のコンピューターが言い争いになって、その対立が一気に広がって核兵器が使用され、全世界が一瞬にして滅びた。
まあストーリーとして面白く極端にしているけど、人間が自分より正しく判断する存在に判断を委ねるという性質をえぐっている。
でも、AIにできる判断というのは、明確な判断基準が必要だ。そして、世の中の善悪というのは、立場によって逆転するあやふやなものだ。善悪を決めるという行為は「何を優先するか」が明確になって初めて可能だが、AIにはその「何を優先するか」を決めることはできない。
だから、人間がAIに全ての判断を委ねるという未来はさすがに実現しない。
それよりも、ドラえもんみたいな、欠陥もあるけれど人間の友としてお互いに成長していくというスタンスのAIを人は求めていくんじゃないかな。
人間の代替ロボットなんていらないというのはもっともだけど、AIの学習と人間の学習は異なるらしいから、新しい発想を生み出す可能性があって、面白いんじゃないかな、と思う。
情報が氾濫したネット世界に、キュレーターによるコミュニティの形成
最近では、ネット上にはほとんどのことの答えややり方の情報が存在しているように思える。
でも、間違った情報や必要のない情報も多く存在していて、情報を選ぶ手間が膨大になった。
そこで、必要な情報に絞り込むコミュニティが形成される。博物館や美術館で展示する作品や資料を研究、鑑定して管理するキュレーターのように、良質で目的に沿った情報を揃えた人、サービスに人が集まり、コミュニティが形成される。膨大な情報の海から、自分にとって有益度の高い情報を手間なく入手することができ、行動を加速する。
このコミュニティのインターフェースはWebである。
Webエンジニアのスキルをつけてみる
Webを操作することができれば、自分や人のやりたいことを実現する大きな力になることができるかもしれない。
まだやりたいことはざっくり曖昧で、明確に具体化してはいないけれど、とりあえず、やってみよう。やってみないと、どんなことまでできるのか想像できない、というところもあるし。